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内田ボブ&ナーガ 歌と詩の朗読会“春風めぐる”初の西ヤポネシア in 神戸!
Special Live Painting アキノイサム

ヤポネシア部族のつわものたち
部族社会とは大地・海・自然と共に生き野生に近い生活を実戦してきた人間たち
30年以上そんな生き方を通してきた互いのスピリットがひびきあう

内田ボブ氏と長沢哲夫氏を迎え、歌と詩の朗読会を開催いたします。
スペシャルゲストにアキノイサム氏を招きライブペインティングも披露して頂きます。

・日時:07' 4 / 17(土) 19:30 〜 21:30
・場所:モダナーク・ファームカフェ
・料金:2000円(1ドリンク付)

・問い:モダナーク・ファームカフェ
・TEL :078-391-3060
・mail:modernark@chronicle.co.jp

 

長沢哲夫(詩人・通称ナ−ガ)from トカラ列島諏訪之瀬島
1941年 東京で生まれる。
戦争疎開を経て、当時のボヘミアンたちの拠点ともいうべきクラシック喫茶、新宿・風月堂に出入りを始める。その後は自分でも自嘲気味に「風月堂大学に入学した」というように、必然的に高校を1年で中退。そこで出会ったナナオサカキらとともに放浪の生活を始める。宿無し、無一文の旅生活は68年まで続く。
その頃、新宿で似顔絵書きをしていた山田塊也(通称ポン)を引き込み、ナナオ、ゲイリー・スナイダー、三省らと共に部族宣言を書いて「部族新聞第1号」を発行。新宿の街頭で1万部を完売する。
そして東京を後に日本全国に生まれたコミューン“部族”の旅からインドへと至り、そうして72年、諏訪之瀬へと移住、現在も飛魚漁師をしながら詩を書いている。
おもな詩集に「手のひらに虹の長い羽がまわっている」(プラサード書店刊)、「つまづく地球」「きらびやかな死」「ふりつづく砂の夜に」(ともにSplashWords刊)、「魚たちの家」(南方新社刊)がある。
内田ボブとは97年より詩と歌のツアー「春風めぐる」を続けており、今年で10年目のツアーは、東京からスタートし、はじめて西日本をめぐる。

内田ボブ(百姓シンガーソングライター)from 南アルプス大鹿村
http://amanakuni.net/bob/top.html
1952年 湘南に生まれ、転々・・・。15の時より旅に出、転々・・・。
インド、ネパール、プラハ、アボリジニーの大地、亀の島ビッグマウンテン、ハワイの島々、日本列島ヤポネシア・フリーウェイ、転々・・・。
60年代より、日本のビートニクとも称される詩人ナナオサカキや山尾三省、ナーガこと長沢哲夫、山田ポンたちと自給自足コミューン運動“部族”に関わる。そして当時日本に住んで仏教を修め、後のエコロジー思想に大きな影響を与えた、アメリカのビート詩人ゲイリー・スナイダーとも親交を深める。
70年代より、西表島に暮らす。水牛にまたがり田んぼを耕し、ミクロネシア独立の夢に関わり、ヤポネシアの自由を夢見る。
86年4月26日、信州南アルプス赤石岳の麓、大鹿村に入ったその日にチェルノブイリ原発事故が起こる。その時の事を歌いあげた全編二十数分もある長編曲“チェルノブイリ”は、当時全国各地で盛んになった反原発運動を大いに勇気づけた。
87年隠魂(オニ)祭り。そしてもはや伝説となった、88年8月8日にかけて八ヶ岳で開かれた“ NO NUKES, ONE LOVE! ”88いのちの祭りを開催する。
当時結成していたROLLING DRAGONバンドも、いまや伝説である。
そして現在も南アルプス大鹿村にて畑を耕し、どじょうを飼い、時々は里に降りては歌い歩く。現在活動するバンド、バルナギータでのコンサートの他、ソロでも各地のまつりやコンサートに出演。バルナギータでのCD「水の島」「つなぎあわされた虹の輪を」、そして今年ハワイから星を頼りに航海する古代のカヌー、ホクレア号を迎える歌の数々をCD「ヤポネシア・フリーウェイ」としてリリースした。

アキノイサム(放浪の絵描き)
http://amanakuni.net/isamu/

1935年 京都生まれ
35年生まれなので'45年の敗戦まで、いわゆる軍国少年として育つ。
47年の中国革命、50年の朝鮮戦争等の影響を受け、コムニズム運動に入る。
60年安保と三池争議に参加。日本の高度成長のヴィジョンに絶望。またソ連崩壊、中共の変質を見てコムニズムにも絶望。
たまたまインドのタゴール大学へ交換教授で行く事になった母(秋野不矩)と共に旅に出る。
62〜67年までの6年に及ぶインド(アジア)での生活で世界観も人生観も代わり、アニミズム、シャーマニズムの世界を知り、その視点で絵を描き始める。
インドでの生活を通して、ヨーロッパ、アメリカのキリスト教的文明の世界観や人間観を離れ、アニミズム的実存世界に身を投じて生きるようになった。
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